※こちらは2021年に記載したブログです。
富士山の最新情報については、富士登山オフィシャルサイトをご覧くださいませ。
富士山、それは登山をするもしないにもかかわらず、日本人にとって特別な山であることは間違いありません。
日本一の標高であるだけでなく、日本人の歴史と信仰に深く関わり、絵画や文学作品の対象として多く取り上げられ、実際に富士山を目にしていない方でも、その端麗な山容の富士山を思い浮かべることができます。
アウトドアショップで働いていると、必ずお客様から聞く言葉があります。
「一生に一度は富士山に登りたい。」
関西出身の筆者(スタッフ綾井)も山梨に来るまでは「いつかは富士山」と思っていましたし
富士山が見えれば喜んで写真を反射的に撮ってしまうのは、山梨移住後も変わりません(笑)
さてそんな富士山は昨年、コロナ禍のなかにあって夏のシーズンも閉山となり
今年が2年ぶりの開山となりました。
2年ぶりの開山といえども、聞けば以前のような外国人登山客は激減し、大人数でバスに乗って来る団体ツアーも少ないのが現状です。
言い換えれば
富士山は今年が狙い目
という事になるでしょう。
以前まではご来光登山の時には山頂まで長蛇の行列となり
寒い中牛歩のようなスピードで登らなければならなかったり
山小屋も人であふれ、狭い思いをして寝なければならなかったりと…
ハイシーズンはなかなか大変な登山となっていました。
今季は嬉しいのやら寂しいのやら複雑ですが、例年より人が少なく
山小屋でも寝所に仕切りを設けるなど(上写真は仕切りを新たに設けた、佐藤小屋の寝床)
感染症対策によって比較的プライベート空間も保てます。
今年が狙い目というのはあながち間違っていないのではないでしょうか。
さてそんな富士山を登るにあたって、最も多くの方が利用するのが
「吉田ルート」です。
江戸時代の冨士講(ふじこう)で栄えた吉田ルートは、頂上への4つのコースのうちで小屋の数が最も多く、今でも利用者が最も多いルートとなります。
この吉田ルートを使って先日は富士登山へ行ってきたので
その様子やルートの解説をこちらでさせていただきます!
(上写真:スバルライン公式HPより引用)
吉田ルートは一般的に富士スバルラインの終点の五合目から登りだしますが
富士スバルラインが開通するまでは北口本宮富士浅間神社から山頂へ至る
吉田口登山道の下半部のルートも歩いて登っていました。
さすがに一日でそのコースを踏破することは僕にはできないので、今回は馬返しと呼ばれる
場所から、六合目で富士スバルラインからのコースと合流し、山頂へ至るルートで登ってきました。
廃れてしまった信仰の道ですが、今や利用者も増えてきて、歴史的遺構も見ることができます。
この記事(前編)では主に馬返しから六合目までの下半部を中心にコースを紹介いたします。
多くの方が登るであろう上半部(五合目から山頂)は後編でまとめますので
その情報だけ求めている方は、そちらをご覧いただければと思います。
大きな鳥居が迎えてくれるこの場所が、馬返しとよばれる今回の山行の出発点です。
馬返しの標高が1450m、富士山の最も高い地点である剣ヶ峰で3776m。
標高差2300m以上もある長い一日の始まりです。
ちなみに馬返しには富士山駅からのバスを利用してアクセスすることが可能です。
駐車場もありますので、自家用車の方のアクセスももちろんOK。
仮設トイレもあるので、登山前には用を足して向かうのがいいと思います。
この山行のお供として、非常に心強い方と行くことができました。
杉本龍郎ガイド(写真右)です。
山梨県韮崎市に居を構え、富士山や南アルプス、奥秩父山域などで活動される若手有望ガイドのひとりです。
山の歴史や古道にも詳しい方なので、そちらの解説も期待してお願いしました。
早速正面の鳥居の脇にいる猿の石像をみて、解説をしていただきました。
「富士山は一夜にして湧き出てきたという伝説があるんです。その年が庚申(かのえさる)の年であったので、猿は富士山の使いとして神聖な動物とされています。」
狛犬ならぬ狛猿、何気なく登るだけでは見逃してしまうポイントに
その山の歴史や信仰、逸話などが隠されているんですね。
馬返しからは樹林帯の登山道が6合目直下まで続きます。
5時に登りだしましたが、木陰と早朝の時間帯という事もあって、思ったよりは涼しく登ることができました。
夏山は早出が鉄則ですね。
登山道に所々設置されいるのが「浸透升(しんとうます)」。
これは雨水を浸透させることによって、雨水による登山道の浸食を防ぐために設置されています。
15分ほど歩けば一合目(標高1,520m)の「鈴原社」に到着です。
記録上では戦国時代から鈴原社の存在が知られていて、1840年代に建てられた建物が今に残っています。
馬返しから五合目までの建築物のほとんどは、この道が廃れてしまってから使われなくなり
いまにも崩れそうな状態で残されています。
このルートを何度も来ている杉本ガイドも、毎回新しい発見があると語ります。
「このルートは見落としそうなところにも、石仏や石碑が置いてあったりと、信仰の跡を至る所で発見することができます。五合目までの道は、史跡も自然も変化や発見にあふれていて、いつ来ても楽しい道です。」
一合目の次は二合目、と先は長いのでサクサク行きたいのですが
その間の一合五勺(しゃく)では、「レッキス」という歴史の道らしからぬ
横文字が付いたポイントがあります。
レッキスとはカルピスと似た飲料水で、昔はこの場所にあった小屋で販売をしていたんですって。
カルピスに似た味なら酸味と甘みがあって、疲れていても飲みやすく、確かに登山向けな飲み物ですよね。
飲み物の話になったので、杉本ガイドの持参した飲料水を見せていただきました。
現代ではレッキスに変わりオレンジ味の付いた炭酸カルピスに、濃いめのカルピスと
今も昔も変わらず乳酸菌飲料は愛され続けていますね(笑)
登山の飲み物は結構大事で、カロリーがあって疲れているときでも飲めるものが適しています。
ちなみに僕はコーラ派です。
飲み物談議に花を咲かせながら、気が付けば二合目「御室浅間神社」に到着です。
こちらの神社の本殿はすでに河口湖町にある里宮に移され、残るのは拝殿のみとなります。
この場所を奥宮、もしくは山宮とよび、麓の冨士御室浅間神社を里宮と呼んで区別をしています。
ここは富士山中にもっとも古くに建てられた神社になります。なんと創建は699年!
拝殿も裏から見れば崩壊の状態が良く分かり、とてもではありませんが中に入ることができません。(トラロープが張ってあります)
御室浅間神社の説明書きを読んでみれば、江戸時代まではこの場所までが女性が来ることを許されたとのこと。
女人禁制の山というのは、修験道の対象とされた霊山では珍しい事ではありませんでした。
ちなみに富士山女人禁制を初めて破った歴史上の人物に、高山たつという富士講の人物がいます。
高山たつは1832年に、バレない様に男装して富士山頂まで登っています。
気になる方はぜひ調べてみてください、結構面白いですよ。
二合目を後にすれば、一度林道を挟んで三合目まで約30十分の登りになります。
数少ないこのルートのご褒美ポイント、三合目「見晴茶屋」に到着です。
開けた展望があって、眼下には麓の町や奥に御坂山塊を見ることができます。
せっかくの景色なのでここで休憩をとることにしました。
ここまで一時間強の登り、いい汗をかいてきたのでちょうどいいタイミングです。
飲み物に続き行動食のおすすめを杉本ガイドに聞いてみると、出してくれたのは蒟蒻ゼリー。
喉越しがいいので確かにこれも行動食にむいてますね。
ちなみに僕はパッサパサのカロリーメイトをコーラで流し込む派です。これからは蒟蒻ゼリーにしようと思います(笑)
三合目の説明案内番の横に、富士吉田ルートの概念図が描かれていました。
これだけ見ると、もうけっこう登って来たなと思いますが…まだまだこれからが本番です!
三合目を過ぎれば、やや傾斜が急になってくるので我慢の時間が続きます。
とはいえさすがは登山ガイド、爽やかな表情通りに余裕で登っていきます。
ちなみに今回のオーダーは馬返しから山頂、そしてお鉢巡りをして馬返しへ下山という
ハードな山行スケジュールでしたので、序盤はやや早歩きとなっています。
これが後々響いてくることに…
序盤は良いペースで、次のスポット四合目「大黒天」(2,010m)に到着です。
ようやく2000mを超えてきました。まだまだ先は長いです。
ちなみに四合目からも展望はありますので、ここもいい休憩スポットとなります。
四合目と五合目の間、四合五勺の「御在石浅間神社」に到着です。
小屋横にある大きな岩壁が、御在石の由来となった神が宿るとされる岩になります。
ところどころ文字が彫ってあるので、杉本ガイドに聞いてみました。
「江戸八百八講と言われるほどに、江戸時代は江戸を中心に多くの富士講がつくられました。この御座石にも富士講の名前を岩に掘ったり、石碑を奉納したりしていたんです。」
小屋は使われなくなって朽ちていく一方で、石碑や石造などは風化はあれど、僕たちが生きている時代に確認できる、数少ない信仰の名残ともいえますね。
ちなみにこちらの小屋跡には”五合目”の文字が!?
◯合目というのは、時代によって異なっていたのではないかとも杉本ガイドに教えていただきました。
ちなみに◯合目というのは、登山口から山頂をゴールとしてその道を等分した、日本固有の山頂までの目安の単位です。
ほとんどの山では十合目を山頂にしていますが、山梨県の七面山では50丁に分けてます。
またその区分け方も距離であったり、難易度であったりと、山によってまちまちであることも面白いポイントです。
五合目の佐藤小屋に至るまで、小屋跡が続きます。
こちら"も"五合目の「たばこ屋」、文字通りたばこを販売していた場所です。
さて林道に出れば、見えてきますたよ~!
ここから五合目佐藤小屋までは残りわずかです。
林道から標識のあるポイントで再び山道に入り、少し登れば見えてきました。
佐藤小屋直下のこの斜面には、富士山で咲く数少ない花がいくつも見ることができます。
杉本ガイドに教えてもらいましたが、下りればすっかり忘れていた僕…また教えてもらわなきゃ。
下山時に挨拶させていただいた写真ですが、佐藤小屋の愛鳥ピーちゃんはこの日も元気でした。
なんとピーちゃんは喋ることができるので、寄ったときは話しかけてやってください(笑)
佐藤小屋を過ぎれば、富士スバルラインの終点の五合目方面が良く見渡せます。
杉本ガイドが指さしている方向にスバルライン五合目があり、そこから山の斜面をトラバースして六合目へ向かうのが一般的です。
日蓮宗の開祖、日蓮上人が富士登山を行ったさいに書写した法華経を埋めたとされる場所、五合五勺「経ヶ岳」を通り過ぎ
逸る気持ちを加速させるように、富士山の赤肌が時折見えるようになればもうすぐ…
富士山の山体上部を全容がはっきりと見ることができる、六合目に到着です!
馬返しからここまで約3時間、いいペースで来ることができました。
振り返れば麓の山中湖や御坂山塊、道志山塊を見下ろす位置から見ることができます。
すでにここで標高は2390m、上の写真に入っている山はすべてその標高より低い高さになっています。
馬返しから登れば大展望の感動もよりひとしお。
程よい疲れもあるので、ここが頂上ならばと思いますが…まだ半分のパート、下山も合わせれば1/4しか歩いていないんですよね。
六合目には富士山安全指導センターがあり、スバルライン五合目からの登山者と合流するポイントとなります。
気象情報告知板があったり、富士登山の安全指導にもあたってくれています。
トイレもあるのでここで用を足してから、きたる富士登山の上半部へ向かうことができますよ。
ちなみに富士山のトイレは200円のチップ制になっているので、登る前から小銭を多く用意しておくことをお勧めします。
さてこの先は一転、岩と砂の荒涼とした世界。
富士山では植生や標高による特徴を「草山・木山・焼山」という言葉で表現され、ここからが天地の境とされる焼山にあたるエリアです。
杉本ガイド「ここから先はヘルメットを装着しましょう。」
ヘルメットを装着して、更に気が引き締まる思いとんったところで
ここからは日本一の頂、天空の聖地を目指します!
後編はこちらから👇
富士スバルラインの開通後廃れてしまった本来の信仰の道は、現在では整備も進み山好きの方に注目され、利用者は微々たるものですが増えてきているそうです。
江戸時代に六根清浄を唱え多くの人が山頂を目指した古道は、歴史や信仰のあと、そして焼山だけでない奥深い自然を味わえる、おもしろいコースとして認知されてきたのでしょう。
山頂まで目指す場合はロングルートとなるので、時間が許せば紹介した佐藤小屋さんなどを利用するのもおすすめですよ。
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